世界の旅客機産業界

JAXAメールマガジン第213号(2014年1月20日発行)
水野洋

謹賀新年!機体システム研究グループの水野洋です。昨年4月のJAXAメールマガジン第195号で「旅客機の開発」の話をしましたが、今回は世界の旅客機産業界の話です。

第二次大戦終結で平和な時代が到来し、軍用輸送機のDC-3などが民間に大量放出されたのを契機に、航空輸送が急速に発達し始めました。同時に多くの企業が旅客機の開発・生産に携わり、日本もYS-11で市場参入を試みた1960年頃には約20社ものメーカがありました。その後の新規参入メーカは少なく、多くが撤退したり吸収合併を繰返して今では前回紹介したように、大型機では欧州エアバスと米ボーイングが、リジョナル機ではカナダのボンバルディア、ブラジルのエンブラエルおよび仏伊共同のATRの5社だけで市場を争っています。
この間の経緯を大まかに辿ると、先ず欧州では、英国にはデハビランド、ヴィッカース、ホーカー、アヴロなど10社近いメーカがあったが、最終的にBAe(ブリティッシュ・エアロスペース)に統合され、フランスでもノール、シュド・アヴィエーション、ブレゲーなどがエアロスパシアルに統合された。エアバスは1970年に、このアエロスパシアルとドイツでMBBやドルニエを吸収したDASA(ダイムラー・クライスラー・エアロスペース)とが共同で、欧州初の広胴機A300を開発するために立ち上げ、それにBAeとスペインのCASAが参加したものです。
さらに2000年になってBAeを除く3社が国際合併でEADS(欧州航空防衛宇宙会社)を形成し、BAeの持分を買収(2006年)して、エアバスはEADSの民間機部門となりました。更に今年初にはEADS自体がエアバス・グループと改名。ATRは1981にエアロスパシアルとイタリアのアエリタリアがリジョナル機開発のために形成したもので、親会社は今ではエアバス・グループとアレニア・アエルマッキーと言うことになります。欧州にはこの他にオランダのフォッカーやスエーデンのサーブもリジョナル機を生産していましたが、今では撤退しています。
米国でもマーティン、コンヴェア、ロッキードなどが旅客機部門から撤退し、1997年にマクダネル・ダグラスを吸収したボーイングだけが残りました。カナダでは車両メーカのボンバルディアが1986~1992年の間にカナデア、英国のショーツ、米国リアジェットおよびデハビランド・カナダを吸収して、旅客機とビジネス機の市場に進出しました。

こうして見てくると、戦後に航空機産業に新規参入して、今なお活躍しているのはブラジルのエンブラエルだけです。そこで同社のホームページから来歴を探ってみました。

  • ブラジルではサントス・デュモンが、パリで飛行船によるエッフェル塔周回や先尾翼型機による初の動力飛行距離100m超え(1906年)で賞金を獲得したりで、ブラジル紙幣の肖像にもなり、国民の航空への関心は高そうです。
    (※:ライト兄弟の特許目的の秘密主義もあって、彼らの1903年からの動力飛行は欧州に知られていなかった)
  • ブラジル航空省の下に空軍が主導する航空技術研究所が設立(1954年)されたのは、日本とほぼ同時期であったが、そこで19席ターボプロップ機EMB110(バンデランテ)の初号機が空軍塗装で初飛行したのは、我がYS-11より6年遅い1968年でした。
    1969年に国営エンブラエル社が設立され、航空省から80機を受注して量産が始まり、1971~1996の25年間に500機が出荷された。次いで1980年から30席ターボプロップ機EMB120(ブラジリア)を開発し、1985~2007年の間に354機を出荷。3番目のチリとの共同開発になる19席プッシャー型ターボプロップ機CBA123は、1990年に初飛行するもコスト高と受注不調に財政危機とも重なり中止。4番目は1995年に初飛行した50席ジェット機ERJ-145で、続いて1998年に派生型37席ERJ-135が、2000年に44席ERJ-140が初飛行し、2011年までに合計1057機を出荷。5番目は70~115席ジェット機E-Jetシリーズで、2002年にE-170,2003年にE-175、2004年にE-190/195が各々初飛行、これまでに1093機受注し908機を出荷。2013年には6番目となるE-175/190/195の改良型E-Jet E2の開発をはじめる。
  • 以上の旅客機計画に加えて最近はビジネス機市場にも進出し、瞬く間に超大型から超軽量まで総ての機種を揃えた。即ち2000年に大型ビジネス機Legacy-600/650(ERJ-135派生型)開発開始、これまでに257機受注、229機出荷。2005年に超軽/軽量ジェットPhenom100/300開発開始、これまでに724機受注、456機出荷。2006年に超大型ビジネス機Lineage1000(E190派生型)開発開始、これまでに32機受注、20機出荷。2008年に中軽/中型ジェットのLegacy450/500開発開始、これまでに24機受注、3機出荷となっている。
  • この他に昔から空軍との契約による訓練/地上攻撃機の開発やライセンス生産が行われ、2007年からはC-130を代替可能な双発ジェット軍用貨物機KC-390の開発を始め、ブラジル空軍や郵政公社から60機、外にポルトガルや中南米からも受注した。また1970年から続いている農業用航空機EMB-200はこれまでに1100機を出荷した。
  • なお国営エンブラエル社は1994年に民営化され、株式の20%はEADSが保有し、2000年にはニューヨーク株式市場に上場した。2012年時点で従業員19,200名、売上高$60億。

日本では1959年に日本航空機製造(株)を設立して60席のターボプロップ機YS-11の開発に着手し、1962年に初飛行、1964年に就航したが10年を経ない1973年には不採算を理由に182機で生産を終了しました。この間に三菱重工業もビジネス・ターボプロップ機MU-2、続いてビジネス・ジェットMU300を手がけたが、苦戦の末1988年に手放してしまった。ここに来て再び70~90席のリジョナル・ジェットMRJの開発を始めたが、これがブラジルにおけるように開発した技術や世界的サービス網などのインフラを幅広い民間機やビジネス機市場、更には軍用機にも適用してコストを下げる、息の長い取組みに発展するには何が必要なのか皆さんも考えて頂きたい。