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宇宙航空研究開発機構

I WAS NOT CRAZY

1980代後半のことである。AIAA(米国航空宇宙学会)が主催するFluid Dynamics Conference(流体力学会議)がハワイで開催された。この学会は航空機の空気力学/流体力学分野の主要な国際学会のひとつで毎年開催場所は変わるが今でも続いている。

私は30代半ば頃、当時世界中でホットな分野であったCFD(Computational Fluid Dynamics: 数値計算力学)関連の研究を続けていた。旧NAL(航空宇宙技術研究所)の機体部空力弾性という名の付いた研究室に所属していたので、特に流体と構造の連成問題であるフラッタに非常に興味を持っていた。

当時フラッタ計算は線形理論でなされており、翼面上の衝撃波の挙動に起因する遷音速機のフラッタは計算できなかった。しかしフラッタに関しては遷音速域で最も厳しく、同領域でフラッタ限界値が極端に落ち込むことが現象論的に分かっていた。この現象を精度よく計算することは航空機の設計上、構造重量を軽減するために重要な課題であった。この解明には圧縮性を考慮した粘性流解析(非線形解析)が必要であった。

一方当時、CFDによりナビエストークス方程式で記述される圧縮性粘性流解析が可能になりつつあった。多くの研究者がこぞって航空機周りの複雑な流れ解析に夢中になっていた。加えて、計算機に関しては、CDC/Cyber205、CRI/Cray-2、NEC/SX-II、FACOM/VP-400、日立も加わり、懐かしい往年のスーパーコンピュータの世界的開発競争の真っ只中であった。

ところで、先のフラッタ計算であるが振動する翼の周りの圧縮性粘性流解析ができれば理屈の上では可能である。動くものの周りのナビエストークス流体解析は、興味を持つに十分な魅力があった。しかしながら静止した翼周りの流れをシミュレートするだけでも相当の計算時間を要する時代、まず、動くものの周りの流れのシミュレーションが可能か? たとえ可能であったとしても計算に要する時間は?…… 検討の結果、最新鋭のスパコンをもってすれば、格子点数を最少限に抑えて1ケース当たり50~60時間の計算時間、ターンアラウンド時間(計算ジョブを投入してから結果が得られるまでの時間)は数か月で計算可能と見積もった。スパコンの計算時間は極めて高価であったが旧NALでは計算機環境は極めてよく、純粋な研究目的では比較的自由に使えた。フラッタシミュレーションを実行することとした。当時としては世界レベルで想像を絶する大規模計算である。

1年かけても数ケースしか計算できなかったものの、出てきた計算結果は非常に有益なものであった。翼の動きと翼面上の衝撃波の動きとの関連、その関連がフラッタ速度に及ぼす影響など、今までの線形解析では分かり得なかった現象が計算機の中でシミュレートすることができ、遷音速域でのフラッタ限界値の落ち込み現象を十分説明できることが分かった。

さて、この計算結果を携えて先に紹介したAIAAの学会に臨んだ。海外出張旅費を陳情したが“公費海外出張は10年に1度順番が回って来ればラッキーだと思ってくれ”との返事。航空券は今よりも遥かに高かったように覚えている。自費出張となった。

発表は30分で、当時は既にスライドではなく、未だPPTはなく、OHPを使った。せいぜい30枚程度を用意したはずである。 発表での開口一番は、“私が今から見せるOHPは1枚数百万円ほどの高価なものである”とのジョークから始めることに決めていた。一般的なスパコンの使用料、自分にとっては旅費のことを考えると、随分高いプレゼンであったことは間違いない。

発表が終わり、質疑応答に入った。矢継ぎ早やに、計算時間は? ターンアラウンド時間は? 必要メモリーは? などフラッタの専門的な質問より、計算機の能力に係わる質問が集中した。質問には正確に答えた。聴衆の中にCFDの世界的大家(今でもご壮健)がいて、その先生からは質問ではなく単なるコメント“You are Crazy!”の一言であった。誰も想像し得なかった大規模計算であったことから無理もない。臆せずに将来のCFDの方向はこの方向だと力説した記憶がある。

あれから30年経った。計算機の性能は10,000,000倍以上になっている。予想とおり、どの分野もスパコンによる直接シミュレーションが大流行りで、難しい理論に基づく現象も素人に分かりやすく説明している。航空機設計におけるフラッタシミュレーションも極当然のこととして行われている。 いつの時代も若い研究者は、私がそうであったと同様、その時代にとってとんでもない大規模計算をしている。私は“They are Crazy”と思ったことはない。ただ、若いエネルギーとコストをかけて大規模計算をする訳であるから、将来を見据え世界中の研究者が知りたがってることを解明するような結果を示さないといけない。その点が大計算と単なる大規模計算/リソースの無駄使いとの違いであろう。

では、年取ってしまった私自身は今何をしているか? スパコンは使わない。昔むかしの線形理論を勉強し直している。意外なことが分かる。CFDの威力を思い知る。来月の国際学会の発表の準備をしている。 (JAXA客員研究員 中道 二郎)

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