スマートフォンサイトを表示

宇宙航空研究開発機構

航空と宇宙の狭間にて -番外編 右?左?-

2018年9月20日

白水正男

今回は“狭間”ではあるものの“航空と宇宙”の間ではないので“番外編”ということにさせてください。異文化の接点みたいな話題です。

私が航空宇宙技術研究所に入所して最初の仕事は小型ロケットの頭胴部(簡単に言うと先端に近い部分のことです)の風洞試験などでした。その報告書に入れるため風洞試験を行った頭胴部模型の図を作ったら、頭が右を向いた図を見て当時の上司であったK主任研究官は“ああ、そうか。それでもいいけど、航空(の世界)では先端が左になるように描くのが普通なんだよね。”と。実は私は大学では物理を専攻していました。それがどう間違ったのか航空宇宙という世界に入り込んでしまったわけで、航空のそういう“常識”がないところから仕事を始めたわけです。優しいK主任研究官は“それでもいい”と言ってくれましたが、新人の私はちゃんと描き直しました。

航空機(ロケットも)の先端は左に向けて描くということは当たり前すぎて航空工学の本にも書いてありません(仮に書いてあったとしても不勉強な私は読んでいなかっただろうから同じことですが)。それが理由なのか分かりませんが、私が知っている限り風洞の測定部は、(計測者がいる側から見て)左から気流が流れて来るように作られていて、写真を撮ると模型の先端は左を向くようになっています。航空工学の正規の教育を受けた人にとって、右から気流が流れてくると落ち着かないのかもしれません。

ところが、ある時、造船学の世界では船は右を向いているということを知りました。Googleで“船舶 図面”で画像検索すると、確かにほとんどの船は右を向いています。(その中で宇宙戦艦ヤマトはなぜか左を向いていますが、ヤマトはロケットかな?)航空と造船で逆になった理由は、少なくとも私は知りません。そのとき疑問に思ったのは、航空学科と造船学科両方の出身者がいるといわれていた比較的新しい自動車業界ではどちらを向いているか、でした。昔のことなのでGoogle検索などもなく、手元にあった数社の自動車のカタログを開いてみました。系統的に調べたわけじゃありませんが、手元にあった範囲内では三面図は右向きと左向きが混在していました。今、Google検索すると自動車も左が前に揃っているようです。この勢いで他の交通機関も調べてみました。と言っても、電車や電気機関車は事実上前後がないので、前後が明確な蒸気機関車を調べると、見事に左右が混在しています。左右の別は何に因るのか分かりませんが、ひょっとしたら生産国に拠って異なるのかもしれません。

よく知られているように、ヨーロッパでは(英国を除いて)車は右側を走ります。フランスも車は右、地下鉄も右です。ところがフランスの国鉄(SNCF)は左側を走っています。フランス人の知人にその理由を尋ねたら、“フランスの鉄道は最初にイギリスの技術で作られたので、そのせいではないだろうか”と教えてくれました。日本の鉄道も同様に最初はイギリスの技術で作られました。日本の車が左側通行なのは、武士が刀を左に差していたことと関係があるとも言われています。日本で鉄道と車がどちらも左側を走っているのは、そういう意味では“たまたま”一致したに過ぎないのかもしれません。

冒頭に書いたように私は物理出身ですが、物理と(航空のような)工学では用語が異なる例も多く知られています。例えば再突入の熱解析などでは重要となる赤外線による(正確には電磁波による)熱エネルギーの移動ですが、物理では放射と呼ぶのに対し工学では輻射と言います。工学の輻射率は物理では放射率になります。また、電気の通り易さを示す工学の電導度は、物理では電気伝導度になります。輻射については理由は分かりませんが、電導に関しては、工学においては電気が伝わるかどうかというマクロな現象が関心事であるのに対し、物理では(特に自由電子が主としてその役割を担う金属において)電気伝導と熱伝導は同じメカニズムに因るということが背景にあってそういう用語になっているのではないかと思われます。

よく言われるように、言葉は文化そのものです。言葉の破壊は文化の破壊につながりますし、言葉の統一は文化の統一です。明治維新の頃は方言が著しく、口頭による意思疎通がうまくいかずに日本人同士が漢文で意思疎通を図ったという話を聞いたことがあります。いわゆる標準語の設定とNHKによるその普及は多くのプラス効果を生み出したのは間違いないですが、方言の良さが改めて見直されたりもしています。

技術や科学の世界でも、その分野だけの方言のようなものがあります。物理の世界で言えば、高校物理で習った方もいらっしゃるかと思いますが、速度と速さは別物です。大きさだけなら速さ、それに方向が伴って(いわゆるベクトルになったら)速度になります。そういう物理方言では、最高速度60km/hは誤用です。方向と向きも別のもので、東西方向、東向き、というように用いるのが物理方言です。学術的なコミュニケーションではこの方言を使わないと正確さを欠くことがあります。しかし、いくら物理帝国主義(注)でも、この方言を一般市民に拡げるべきだと考えている物理学者はいないと思います。

効率化の名の下に用語や基準を統一すればいいというものではないし、でもバラバラは不便ところがあります。国際的な物や情報の交流が増えると、統一しないと混乱や不便なことが増えてきます。スウェーデンが1967年に車の左側通行を右側通行に変えたのは、車がかなり普及してからの英断でした。しばらく前にNASAは技術用語をメートル法(正確にはISO単位系)に統一しました。NASAの論文は今はISO単位系で書かれています。でも、NASAの次世代宇宙船は引き続きヤード・ポンド法で作られています(スペースシャトルとの共通性が背景にあったと聞いています)。文化の統一は理念と現実のせめぎ合いみたいなところがあって、悩み深いテーマです。

※注:物理帝国主義:[ウィキペディア「物理帝国主義」] ※外部サイトへリンクします





    関連リンク
  • 風洞設備
    JAXAでは、低速から極超音速までさまざまな幅広い速度域の試験、大気圏再突入時の特殊な気流条件での試験に対応できるように、各種の風洞を整備しています。
  • ~どんな仕事をしているのかな~JAXAの風洞試験
    風洞の役割や風洞のしくみの紹介、またJAXAのさまざまな風洞について紹介しています。


ページTOP