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宇宙航空研究開発機構

ビーチとわたし

飛行技術研究センター
稲垣 敏治(いながき としはる)

「好きなことばかりやって来ちゃった」と稲垣さんは笑う。入社してから40年、国の研究機関として最先端の研究開発を行ってきたのだから、伺い知れない様な大変な事態も有ったことだろう。それでも“好き”と言いきれるのは、辛いこと、大変なことをも楽しいと思える柔軟性があったからでは…そんな風に感じたインタビューだった。

飛行機の時代が来ると感じて

JAXAの前身機関のひとつである航空技術研究所(後に、航空宇宙技術研究所[NAL]に改称)がビーチクラフト式65型、通称「ビーチ」を初代実験用航空機として導入したのは1962(昭和37)年のことでした。わたしがNALに入所したのはそれから9年後、1971(昭和46)年です。
研究補助として入ったのですが、当初はお茶くみやコピー、プロット(実験データをグラフに書き写す作業)などの雑用が主な仕事でした。後は、勉強ですね。入った当初は飛行機のことなどほとんど何も知りませんでしたから。1年ほどは機体に乗せてもらえず、「今日は乗れるかな?」と思いながら仕事をしていたのを憶えています。初めてビーチに乗った時は嬉しかったですね。内心、「浮いちゃった」と楽しんでいました(笑)
何でNALに入ったのか? そうですね…あの当時、飛行機はまだ誰もが気軽に乗れる物ではありませんでした。でも、これからは飛行機の時代がやって来るという社会的な認識があり、当時のNALではたくさんの職員を採用していました。そんな背景もあり、自然と“航空”という名の付く研究所に入っていました。

実験用航空機「ビーチクラフト式65型 クイーンエア」の呼名変遷

ビーチはビーチクラフト社というアメリカの会社が造った飛行機で、「クイーンエア」という機種です。ビーチクラフト社では他にも「キングエア」や、小さな機体の「バロン」などの機種も製造していました。そのため、初めは機種名の「クイーンエア」と呼んでいたんです。 導入当初は主に、防氷実験や飛行特性試験を行っていた様です。その後、1970(昭和45)年にアナログ計算機を主体としたパラメータ変更が可能な安定装置を搭載した「可変安定実験機(VSA)」へと整備され、安定性や操縦性に関する研究を行うようになりました。1979(昭和54)年には計算機をアナログからデジタルへと移行し「可変安定応答実験機(VSRA)」へと発展させました。実験用フライ・バイ・ワイヤ操縦システムや直接揚力制御システムといった最先端の機器を搭載し、様々な飛行機の運動を模擬できるイン・フライト・シミュレーター「VSRA」として活躍しました。
1994(平成6)年、イン・フライト・シミュレーション機能を後続の実験用航空機ドルニエ式Dornier228-202型(通称「ドルニエ」)に引き継いだことから、相模湾上空での定期大気採取飛行や突風軽減装置の評価に飛行目的が変わってきました。「ビーチ」という呼び名はドルニエを導入してから、何となく区別の意味もあって自然と使われてきたように思います。
VSRA時代の最後に、日本操縦士協会(JAPA)のパイロットによるVSRA評価実験を行ったのですが、その実験はとても興味深かったですね。VSRAの飛行特性を様々に変化させ、パイロットに評価してもらったのですが、その時に、例えば機体の揺れを大きくした時にパイロットがどの様にその揺れを抑えるかを調査する研究なども行ったんです。これまで、その様な状況下でパイロットが操縦するのを見る機会は無かったため、一緒に実験機に乗っていることでその一連のプロセスを目の当たりにすることができたのは良い思い出です。

コックピットの様子。模擬操縦桿(右座席側操縦桿)中央に「VSRA」の文字が見える。

「VSRA」時代のビーチ。カウル部分にVSRAのロゴが描かれていた。

こちらは2011年10月26日、ラストフライト時のビーチだ。カウル部にはJAXAロゴが描かれているのが分かるだろうか。

「飛鳥」開発の思い出

1962(昭和37)年から1989(平成元)年にかけて、NALでは短距離離着陸(STOL)実験機の研究を行っています。その中で、「飛鳥」の開発に入っていったわけですが、VSRA時代のビーチは飛鳥開発にずいぶん貢献しましたよ。飛鳥は航空自衛隊の「C-1」輸送機をベースとしていたため、イン・フライト・シミュレーション機能を使ってC-1の特性を模擬しながら飛行試験を行いました。通常の機体と飛鳥との大きな違いは離着陸時に必要な滑走路の距離と、その際の進入角度です。通常の着陸では、飛行機は降下角3°で進入しますが、滑走路距離の短縮化と低騒音化を目指すために飛鳥は降下角6°という深い角度で進入する必要がありました。そこで、空中に滑走路を想定し、その滑走路に対して降下角6°で進入着陸する試験を行ったものです。
特に思い出深い実験は、八尾空港(大阪)で行った高降下角(6°)での進入着陸実験かな。この実験が、私の初めての野外実験だったので。PAPIなどの着陸援助設備が無い時代だったため、降下角3°と6°の目印を考案して手作りし、滑走路脇に設置して実験を行いました。実験の目的は、実際に6°の高降下角で進入する時の諸問題を洗い出すことでした。後部席から外の景色を見ていて、「おー、(通常の3°進入に比べて)高い位置から進入するんだな」と思いましたね。その後、PAPIを岐阜基地に設置して本格的な着陸実験に進んで行きました。
伊豆大島(東京)で行ったイン・フライト・シミュレーション機能での実着陸実験も印象に残っています。この時は、ビーチの特性を模擬して滑走路に実着陸するという実験でした。ビーチの各操縦系はワイヤ駆動なのですが、イン・フライト・シミュレーション時にはそのワイヤを電気モータによって駆動するフライ・バイ・ワイヤ駆動になります。当時のフライ・バイ・ワイヤはパイロットの操作に対して舵面の遅れが大きかったらしく、空中での模擬着陸では問題なく着陸できていたのが、いざ実着陸となると、細かな操縦に対しての応答がすれて機体の制御が不安定になってしまうことを身を持って体験できました。この実験によりVSRAによって実着陸が可能なことを証明できたのは、大きな成果でした。
いろいろと一緒に仕事をしてきたビーチが引退してしまい、淋しいかって? うーん…淋しいというより、ご苦労さんという気持ちの方が強いかな。「ビーチ、ご苦労さん」って気持ちです。

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