不安定とその検知

JAXAメールマガジン第221号(2014年5月20日発行)
立花繁

“不安定”と聞くと秩序ない混沌とした状態を思い浮かべがちですが、秩序ある(例えば周期性のある)不安定というものもあります。ジェットエンジン燃焼器の開発の段階で燃焼振動という不安定が問題になる場合があります。燃焼振動が発生すると笛のように筒(燃焼器)の共鳴音が鳴ります。音と呼ぶには強すぎるくらいの圧力振動レベルなので、長くこれに曝されると構造部品の疲労が進みます。燃焼振動は共鳴現象という意味で秩序ある不安定です。

燃焼器への燃料噴射量を絞っていくと、どこかで火が吹き消えてしまいますが、これを希薄火炎吹き消え(Lean flame Blow-Outの頭文字をとってLBO)と呼びます。LBOも燃焼不安定の一種です。LBOに近い条件では、多くの場合、圧力信号や炎の動きに無秩序な変動が観察されます。従って、LBOは無秩序な不安定と言えるでしょう。ちなみに火炎の吹き消えは燃料を絞った場合のみ発生する訳ではなく、水や氷、鳥などの異物がエンジンに吸い込まれるというような意図しない状況で突発的に起こる場合もあります(JAXAメールマガジン第217号コラム参照)。
燃焼振動や火炎吹き消えの起こりにくい(安定範囲の広い)燃焼器を開発することは、飛行機の安全性向上のために重要です。不安定を早期に検知する技術はそのためのキー技術の一つです。本格的な不安定が発生する前に予兆的な現象を早期に検知できれば、不安定を回避するアクション(燃料の噴射量や噴射位置を安定側に変化させる等)を取ることができるからです。

JAXAは立命館大学との共同研究によって不安定早期検知技術の開発に取り組んでいます。立命館大学の後藤田教授は複雑系科学がご専門で、様々な反応系熱流体現象のダイナミクス解明やその工学応用に取り組んでおられます(下記リンク参照)。圧力が時系列的に変動する信号を位相空間と呼ばれる多次元空間内で表示すると、その軌道(衛星の軌道と同じ意味の軌道です)は、ドーナツ形状であったり、金たわしのようなぐちゃぐちゃな形状であったりと、様々なパターンを示します。この軌道の特性を調べることで、信号が秩序立っているか、無秩序的か、それともその中間かなど現象の状態を捉えることができます。この手法によって、従来の検知手法では捉えることができなかったエンジン燃焼不安定の予兆的な現象を早期に検知することが可能であることがわかってきました。大学における応用範囲の広い基礎研究がJAXAにおける実用的な技術開発へと結び付いた好例の一つであり、更に今後世の中で広く利用されるよう研究を続けているところです。

最後に恒例の柔道とのアナロジーを一つ。柔道の立技で相手を倒すことは相手の安定性を奪うことに他ありません。安定性には静的なものと動的なものの2種類あります。静的安定性の研究例は、柘植俊一著「反秀才論」(岩波現代文庫)P261に見ることができます。立っている人間が前方に引かれるとき、どの方向にどのくらいの力で引かれると安定を失うかという実験で、引手の角度は水平に対して約10度上方に引くのが最も効果的という結果が示されています。一方、動的安定性に関するもので際立った例としては、大柔道家・平野時男の「事前作り」が挙げられるでしょう。相手と組む前に作り(崩し)を完了する、というのです(平野時男著「柔道世界投げ歩る記」(東都書房)P210)。早期に相手の安定性を検知するばかりか、その安定性を組むより前にダイナミックに制御するという究極の技です。燃焼安定化技術として我々が目指している究極の姿もそのようなダイナミックな能動制御です。