コーヒーと変数分離

JAXAメールマガジン第233号(2014年11月20日発行)
立花繁

毎朝、ハンドドリップでコーヒーを淹れて飲むのが私の日課です。豆はスマトラ・マンデリン(リントン・ラスナ)の深煎り、Earthyな風味が何ともたまらなくおいしい豆です。24グラムの豆を少し粗めの粉に挽きペーパードリッパーで抽出します。お湯の温度は85℃から88℃。蒸らしのための点滴ドリップに2分間。その後、粉全体が湿ってお湯を通すようになったら少しずつ注ぐ湯量を増やします。お湯の通る道筋を頭の中にイメージしつつ、ドリッパーからポットに落ちていくコーヒー液の様子を見て注ぎ方を変化させます。5~6分間程度かかるでしょうか、こんな感じで丁寧にドリップすると、素人ながらもコクと甘みのある深煎りコーヒーを抽出することができます。
豆やミルの選定にかかった期間を抜いても、この手順が定着するまでには1年以上かかりました。コーヒーの味や香りを決めるパラメータ(変数)がとても多いからです。豆の量や挽き具合、水の種類、お湯の温度、ドリッパーの種類、お湯の注ぎ方等々、好みに合ったおいしいコーヒーを淹れるには、これら変数の最適な組み合わせを探す必要があります。そこで“パラスタ”(パラメトリック・スタディ)が始まります。変数を一つずつ変化させ、その変数が味や香りに与える影響を調べていくのです。これを感度解析と呼びます。変数が多い場合は品質工学の手法を用いる場合もあるでしょう。いずれにしても深い洞察力と鋭敏な感覚が必要とされます。プロのバリスタはパラスタのプロとも言えるかも知れません。
一方で、いつもと同じ豆・同じ手順で淹れたのに、なぜか今日のコーヒーはいつもよりおいしい。こういう経験もしばしばあります。この時、人間の思考として、いつもと何が変わったんだ?と自問するのが自然です。豆の量は同じだったか、お湯の温度はどうだったか等々。上の例とは逆方向ですが、これもまた変数分離です。そして、いろいろと考え悩んだ末、コーヒーを飲む前にあるものを食べていた、とか、使った豆にたまたま別の豆が混ざっていた、など、予期しない要因にたどり着くことがあるのです。例えば、私の進めている燃焼研究テーマの一つは、いつもと同じ条件で試験した(つもりな)のにいつもと性能が異なるという不可思議な結果に対して、変数分離で特定した要因(詳しく述べませんが燃料噴射弁の詰まり)に、その着想があります。似たようなパターンとして、これを変えればこういう効果が得られると予想を立てて試した結果が、予想と全く異なる結果を生む場合があります。この場合も、予想のどこに間違いがあったのか、変数分離を用いて要因を探ります。

いつもと違うことに敏感になること、変数分離と感度解析の習慣を身に付けること、そして、あまり深く述べませんでしたが、仮説を立てる癖を持つこと。これらはあらゆる場面で人生を楽しむ秘訣のように思いますがいかがでしょう。私は毎週金曜日の晩、柔道の稽古に行きます。先週効いた一本背負いが今週は全く効かなかった。そうすると、なぜだ、なぜだと変数分離が始まります。左手の位置が下がっていたとか、踏み込み足が相手に近すぎた、相手の脇が締まっていたなどの反省をもとに対策(仮説)を練って翌週の稽古に臨みます。相手は相手で対策を練っていますから相手の応答も変わり単純にうまくいくものではないのですが、うまくいってもいかなくても、変化があること自体面白いものです。