TRLとMRLの話

JAXAメールマガジン第243号(2015年5月7日発行)
立花繁

「TRL(Technology Readiness Level、技術成熟度レベル)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?飛行機には様々な先端技術が採用されていますが、TRLはその技術開発に欠かせない考え方です。果物にたとえれば、いかに実が熟しているかを示すもので、開発中の技術が実際に運用される飛行機へと搭載可能なレベルにどれだけ近いかを表す指標です。TRL1は新しいアイディアの着想段階です。TRL2では、そのアイディアをどのような形で何に応用するか明確にします。その上で、TRL3以上では、実際の形状や環境条件での要素試験、要素を組み合わせたサブシステムとしての実証試験等を通して、段階的にTRLを向上させていき、TRL6に達すると地上でのシステムとしての技術成立性の確認が完了します。続いて、飛行試験(TRL7)に進み、認証試験(TRL8)をパスすれば、最終段階の実運用(TRL9)へと至ります。我々技術者は、「この技術によって○○性能が○%良くなります。」といった話をする際、TRLいくつの技術のことを言っているのか、常に意識しているのです。

最近ではTRLと並行して、「MRL(Manufacturing Readiness Level、製造技術成熟度レベル)」という指標も使われるようになってきました。製造技術について、材料開発の段階からフル稼働の生産ラインに載せる段階までをレベル分けしたものです。3Dプリンタ技術はMRLの対象として良い例でしょう。近い将来、ジェットエンジン燃焼器に3Dプリンタ製の燃料インジェクタ(燃料を噴射する装置)が搭載されることが予想されます。耐熱性のある合金を材料とする3Dプリンタがあるのです。燃焼効率が良く、環境汚染物質を出さない燃焼器の開発には、燃料インジェクタのデザインがとても重要です。燃料噴霧の微粒化や空気流との混合、着火や燃焼安定化など、燃焼器に求められる主要な性能はインジェクタのデザインに大きく左右されるからです。3Dプリンタを用いれば、部品の軽量化、低コスト化に加え、従来技術では造れなかった複雑形状をした部品の製造が可能となります。

高温高圧の過酷な環境に曝される燃焼器部品には高い耐久性が求められます。TRLが高くなるほど耐久性の要求も厳しくなります。燃料インジェクタのつまりに繋がる燃料コーキング問題はその一例です。インジェクタ内の流路設計はコーキング防御策としてとても重要ですが、3Dプリンタを用いれば、迷路のような流路にも対応が可能なため、大きな優位性を持つことになります。同じ重量でも構造強度を向上させるような構造上の工夫を施すこともできるでしょう。このため、表面粗さ、寸法公差、製造コストなど様々な観点から、MRLを向上させる活動が続いています。

恒例の柔道アナロジー。
柔道にもMRLがある、と私は思っています(もちろんTRLもありますがここではMRLに限定します)。戦うための心の準備がいかにできているかの指標、Mind Readiness Levelです。作家・井上靖の「柔道の魅力」(注1)という詩がこれをよく表現しています。以下はその抜粋。
「柔道の美しさは、いかなる勝負も、それが成立した瞬間消えてしまうことである。技をかけた。相手が飛んだ、―――瞬間、それは消えて、跡形もない。勝ちと負けは、単なるその結果であるに過ぎない。
柔道の勝負は本来生死の問題である。スポーツではない。生死をかけた対決である。負けることは、死を意味する。だから、柔道の試合においては、どうしても勝たなければならないのだ。」
試合に限らず、覚悟が必要とされる人生のあらゆる場面で、このような精神の準備ができるように成熟することが修行の目的である、そのように言えないでしょうか。

注1:1978年に開催された嘉納治五郎杯国際柔道大会のパンフレットに掲載された文章。