大家との架空対談(その2)

JAXAメールマガジン第284号(2017年2月20日発行)
吉田憲司

皆さん、こんにちは。航空技術部門の吉田憲司です。今回も流体力学の大家との思い出を通して理想の研究者像を考えさせてください。今回は理論流体力学の大家、今井功先生です。

流体現象は非線形偏微分方程式に支配され、解析的に解くことは困難です。そこで、いろいろな仮定や単純化を通して近似的に現実の流れを模擬する理論体系が整っています。航空機まわりの流れでは物体表面近傍を除くと粘性の影響が小さいため、非粘性近似が有効となります。また2次元的な流れでは複素関数を使った数学的に美しい理論が作られています。今井先生はこの分野で数々の理論的な拡張に成功し、理論流体力学の発展に貢献されました。クッタ・ジュコフスキーの定理(翼の揚力は密度と循環(束縛渦)と速度の積に等価)は圧縮性を考慮しても成立すること、物体に働く力とモーメントに関する関係式(ブラジウスの公式)は無限下流での漸近解を用いて再構成すると、粘性流、剥離を模擬した不連続流、非定常流に対しても導くことが可能で、特に粘性流のモーメント公式では高次補正項の誤りを発見したことなど世界初の成果が沢山あります。まさに流体力学の真髄を熟知されており、オリジナリティ満載の教科書「流体力学(前篇)」は先生の代名詞と思います。これを読むことができる人たちは本当に幸せだと思います。

今井先生が晩年に取り組まれたのは「電磁気学を考える」で、流体の専門家が電磁気を再構成する独創的なものでした。当時物理学科の学生であった私はその新しい視点に衝撃を受けました。その後、大学院で翼の空気力学を研究しましたが、今井先生の理論的手法を参考にさせて頂きました。社会人になって数年後、「電磁気学を考える」が出版され、名古屋大学で記念講演会が企画されましたので参加し、質問の機会も得ることができました。先生は”どのような質問にも真摯に対応され、一つずつ解きほぐすように考えを進めて、最後に「本質はこういうことかな?」と結論される、そして考えることを楽しんでいる様子に憧れの研究者像を見た感じでした。
記念講演の後、私は「日本には流体力学の世界的な大家が多くいるのに、ほとんどの先生が退官され、若い研究者は直接講義を聞けないのは本当に残念で、せめて特別講演の機会などを作れないものか?」と思い、日本流体力学会に今井先生の特別講演会の企画を提案してみました。幸いにも当時の事務局長である松信先生も同様のお考えで、今井先生と谷先生(前回登場!)の講演会と対談を企画してくださいました。しかし、誠に残念ながらその企画を実行する前に谷先生が他界し、“夢の対談”は実現しませんでした。
しかしながら、今井先生の講演会は実現され、その内容はいつもながら素晴らしく、松信先生のお取り計らいで講演後に質疑の時間も取ってくださり、何よりも学問がお好きで、常に流体現象の物理的本質を探り当てようとする姿勢に理想の研究者像を改めて再認識いたしました。そのお蔭で今でも空気力学の“虜”です。ちなみに、谷先生は粘性流体力学を独学で身につけたので恩師はいないそうですが、「強いて言えば沢山読んだ論文の著者であるプラントル(世界的権威)かもしれない?」とのことだそうです。先の“幻”の講演会での題目は「プラントルの心」だったそうで、大変おこがましいですが、私も「今井先生の心」を皆さんにお伝えしたく本稿を書かせて頂いている次第です。

最後に余談ですが、その後東大の生協書籍で偶然にも今井先生にお会いしました。数学の本を立ち読みされていたので、「先生でもまだ勉強する数学の本があるのかな?」と好奇心に駆られてお聞きしたところ、「知りたいことが一杯あって今も勉強中です!」とにっこり笑ってお答えくださいました。これこそ研究者!とまた“憧れ”が増しましたが、それがお目にかかった最後でした。今は天国で谷先生と今井先生が流体力学の真髄を語り合っていると想像しますと、ぜひとも耳を傾けたく思うのは私だけでしょうか?

JAXAメールマガジン第277号