千丈の堤も蟻の一穴から

JAXAメールマガジン 第294号(2017年7月20日発行)
大貫 武

初めての投稿となります。私は研究者として旧航空宇宙技術研究所に入所いたしました。研究者としては珍しい方だと思いますが、35歳の時から25年間、色々なプロジェクトに色々な形で関係してきました。
JAXAで実施しているプロジェクトとは、どういうものかと申しますと、すぐに思いつくものは、ロケットを打ち上げたり、人工衛星を開発したり、「こうのとり」によって宇宙ステーションへ物資を運んだり、でしょうか。
航空部門でもこれまでいくつかプロジェクトを行ってきました。古くは、短距離離着陸実験機「飛鳥」プロジェクトから始まり、国産ターボファンエンジン研究開発FJRプロジェクトに参加もしてきました。
各プロジェクトを進める上で、管理する人たちは様々な苦労をしています。プロジェクトの管理というと、よく言われるのが、QCD管理です。QはQualityのことで、プロジェクトに織り込む技術や品質、CはCostのことで、プロジェクトに投入する資金や人的な資源を意味します。最後のDはDeliveryのことで、プロジェクトを完成させる期限を意味します。このQCDのバランスがとても重要で、難しい管理となります。たとえば、より質の高いことを要求すれば、より資金は必要となるでしょうし、あるいは、期限に間に合わなくなるかもしれません。QCDバランスを管理することは、プロジェクト管理の基本となります。

本日は、私がいくつか経験してきたことの中で、豪州で飛行実験に臨んだ、小型超音速実験機(ロケット実験機)プロジェクトについて、少しご紹介しようと思います。
まず、実験場ですが、豪州の南オーストラリア州にある、ウーメラ実験場で行うこととなりました。ウーメラ実験場は、もともとは英国が第2次世界大戦直後に、ミサイル試射など軍事実験のために開拓した砂漠の中に広がる広大な実験場で、立ち入り制限区域の面積は約13万平方kmあり、日本国土全体の約3分の1の面積を占める広大な実験場です。豪州国防省の管轄ですが、今は、非軍事目的での使用にも開放されており、我々も豪州国防省と契約を締結して使用させてもらいました。
立ち入り制限区域に隣接して、小さなウーメラ村があり豪州の国防省の実験隊はもちろん、日本からの実験隊もその村に滞在しました。村には、スーパーマーケット、映画館、レストラン、ホテルなど一通りはそろっていましたが、品ぞろえは少なく、営業時間も限られ、やはり、日本で暮らすことに比べればかなり不自由がありました。
2005年の飛行実験の時は、日本から、JAXAや契約企業も含め、平均約70人の実験隊員が、約110日間の共同生活を送ることとなりました。人数としては、実験直前のピーク時には100人を超えました。それだけの人数が、それだけの日数居住するとなると、プロジェクト管理の神髄は、人の管理と言っても過言ではなくなります。実験隊員の安全管理と健康管理はもちろん重要ですが、それだけではなく、実験隊の全員に対して、不公平感を抱かせないような管理が、もっとも気を遣った点でした。
たとえば、ウーメラ村には、実験隊のために、長期滞在できる自炊設備付のアパート(イギリス英語でアパートを意味するフラットと呼んでいました)がいくつかあるのですが、日本人の全員には行きわたらず、(自炊設備のない)ホテルの部屋に滞在してもらう必要が生じたり、相部屋をお願いしたりがありました。できるだけ、なぜ自分だけが、と思わせないように丁寧に説明し、理解を得るようにしました。そのほかにも、生活上の不満を生じさせないように努めました。
その結果、実験隊に生まれたチームワークは見事なものでした。見事実験は成功し、10年以上たった今でも、連絡を取り合うような関係になった人たちもいます。豪州の人とも、お互いの国を訪問する際には、連絡を取り合い、Old Friendという関係を保っています。大きなことをやり遂げようとするときは、もちろんQCD管理も大事ですが、それ以外の、千丈の堤の蟻の穴に細心の注意を払うことが、本当に大事だと思った経験です。