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宇宙航空研究開発機構

代田 幾也

1971年生まれ。1991年3月日本航空操縦大学校卒業後、民間航空会社を経て2010年宇宙航空研究開発機構入社。現職に至る。民間航空会社在籍時の2000年9月から2002年3月にかけて第42次日本南極地域観測越冬隊に南極観測用航空機の操縦士として参加した。

――実験用航空機「飛翔」のパイロットとはどのような業務なのでしょうか。
 実験用航空機の飛行実験には、実験や観測を目的とした飛行などがあります。「飛翔」はまだ導入して間もないので、「飛翔」の飛行特性(操縦したらどのように機体が運動するかなど)データを取得するための飛行にも取り組んでいます。民間航空会社のように頻繁に飛行することはなく、研究のスケジュール次第でまったく飛ばない月もありますし、逆に短い期間に凝縮して飛ぶこともあります。実験用航空機は実験の内容や飛行目的に応じて装置や装備が変わるので、実験装置の積み込みや装備の取り付けなどの作業があり、研究者や整備士のお手伝いをすることもあります。また、飛行計画の立案の際は、パイロットの観点から意見を述べることもあります。
 民間航空会社よりも飛行スケジュールには余裕がある一方、自分の技量を維持することは大変です。しかし、私のパイロットとしての技術が、いろいろな研究に貢献しているということについては、非常に充実感を覚えています。

――パイロットを目指したきっかけは何ですか。
 高校時代に進路で悩んでいた時、知人から航空専門学校を紹介されたことがきっかけです。それまで航空機とはまったく縁がなく、別次元の存在と思っていて、パイロットの職に就くことなど少しも考えていませんでした。しかし、技術者だった父の「手に職を持て」という言葉が身に染みついていたこともあり、技術や資格を得ることもいいと思って、航空専門学校の操縦科に進みました。学校の実習で、初フライトの時には「本当に浮いている!」と感動したくらい、パイロットはまったく未知の世界でした。

――卒業後はどのような道に進まれたのでしょうか。また、JAXAに入社したきっかけを教えてください。
 卒業までにプロパイロットに必要な飛行機の事業用操縦士技能証明書を取得し、操縦科の同期の影響でヘリコプターの業務に魅力を感じていた私は、アメリカに留学し、ヘリコプターのライセンスを取得しました。その後、日本に戻りヘリコプターやビジネスジェットを運航している民間の航空会社に入社しました。民間航空会社に所属している時に、南極地域観測越冬隊の観測航空機パイロットとして南極昭和基地で約1年間、国立極地研究所の観測活動に参加することとなり、パイロットでも国家的なプロジェクトや国の研究機関に貢献できるということを実感すると同時に充実感も得ることができました。南極での業務が終わって元の所属会社に戻った後も何らかの形で、そのようなプロジェクトや研究に貢献したいという想いを抱くようになりました。それがJAXAの実験用航空機パイロットに応募した動機です。

――実際に「飛翔」を操縦した感想はどうでしたか。
 「飛翔」の母機であるサイテーションソブリンはセスナ社製の機体です。皆様ご存知のとおり、セスナといえば小型プロペラ機の代名詞のようなものですが、セスナ社はビジネスジェット機としての実績も高く、小型機で培われたノウハウが活かされた機体だけあって、操縦しやすく取り扱いやすい、とても優しい機体という印象です。

――印象に残っている実験はありますか。
 全ての実験が印象深いものですが、中でも2013年7月に宇宙科学研究所が行った「宇宙花火」の観測に協力した飛行は印象に残っています。宇宙花火の観測飛行は、内之浦宇宙空間観測所から打ち上げた観測ロケットが、高度60~140km付近の電離圏で放出したガス発光体の様子を、「飛翔」からも観測するという内容でした。あまり経験のなかった外洋での夜間飛行でしたし、コックピットからオーロラのような発行体を目視することもでき、私の中では特に印象深いフライトです。

――実験用航空機パイロットとしての今後の抱負お願いします。
 多くの方に「飛翔」を利用していただきたいと思っています。さまざまな実験に参加することで、私の操縦技術が鍛えられ、経験を積み上げていくことができます。その技術と経験を活かして、日本の航空機産業の発展に貢献できるよう努めてまいります。

実験用航空機 「飛翔」の前で


このインタビューは、JAXA航空部門広報誌「FLIGHT PATH No.9
からの転載です。所属・肩書などは取材当時のものです。
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