狭い場所でもすぐに離着陸できて空中にとどまれるヘリコプターは、報道や災害救援などでの活躍がよく知られています。中でも2001年以降、日本で定着して使われるようになったのが「ドクターヘリ」と呼ばれる救急医療用ヘリコプターです。特集の3回目は、このドクターヘリを導入初期から20年近く運用している日本医科大学千葉北総病院の松本尚副院長(救命救急センター長)に取材しました。

 

1990年代以降、日本に定着したドクターヘリ

ドクターヘリとは、早期から医療を提供するために医師と看護師が搭乗して事故や疾病などの救急現場に急行するヘリコプターのことで、日本では阪神淡路大震災を契機に関心が高まり、試行的な事業を経て2001年から事業が開始され、2007年の法制化以降、急速に導入が進みました。現在、全国43道府県に53機が配備され、出動件数も2016年の統計データでは年間約2万5000件を超えています。

 

最大の特徴は対応の早さで、これは離発着の迅速さやどこにでも着陸できる機動性など、ヘリならではの利点です。救急医療では特に最初の15分が救命のカギを握ると言われるほど、少しでも早い処置が重要となります。ドクターヘリは常に病院に待機しており、出動要請から数分で離陸、拠点から半径50kmほどの担当範囲に最長でも15分以内に到着します。認定NPO法人救急ヘリ病院ネットワークの調査では、従来の地上救急に比較して救命率が3割以上向上したという結果も出ています。

 

とはいえ、既存の拠点施設と機体配備では日本全体をカバーできておらず、まだ十分とは言えません。機体の配備数を増やすには1機当たり年間2億数千万円の運営コスト(現在は国と自治体が負担)が必要となり、これが拡充のネックとなっています。そこで現在、より優れたヘリコプターのあり方が模索されています。

スピードと機動性を併せ持つのが理想

日本医科大学千葉北総病院の救命救急センター長を務める松本尚先生は、実際にドクターヘリを使って救急医療を行っている現場の医師でもあります。松本先生に、ドクターヘリの現在の運用状況と、ヘリコプターの今後に期待することを伺いました。

松本尚副院長(救急救命センター長)

──最近は災害救援などでもヘリコプターが活躍していますが、貴院では現在、ドクターヘリをどのように運用されていますか。

災害や大事故からヘリの運用を考えるのでなく、日常の救急医療にどれだけ役立っているかで、理想とする運用ができているか考えたほうが良いです。災害というと皆さんも興味を持ってくれますが、毎月毎月大きな災害が起こる訳ではなく、やはり普段の救急医療の中でわれわれの生活、仕事にドクターヘリがどれぐらいフィットしているかを考えて、災害の時にどう利用できるかは、その次の段階として考えるべきです。

──なるほど。では日常の中でのドクターヘリの活用状況はいかがですか。

飛行の速さはもちろん非常に重要ですが、加えて離着陸の時間短縮、つまり速やかに離陸できて現場へも素早く着陸できるという機動性も欠かせません。例えば救急車で病院に運んできたら30分、つまり患者さんが病気になってからわれわれの管理下に置かれるまで30分だとして、ドクターヘリだったら10分で管理下に置かれますといったらヘリのほうが早そうですが、現場で無駄な処置をして病院に着いた時には40分経っていたという話だと、わざわざヘリが行かなくても普通に来たほうが早かったことになります。われわれは、そういうギリギリのところでやっています。なので、ドクターヘリの仕組みを考える時には、ヘリの運航だけではなく、現場での診療内容など削ってはいけないものも考えなければなりません。まだドクターヘリの恩恵を届けるには、診療を受けられるまでにドクターヘリの出動が早いのか、救急車で搬送するのが早いのか、そんな判断を瞬時に行いながら、皆が納得できる考え方で活用することが必要です。

──機動性という点で、今のドクターヘリには満足されていますか。

機動力は十分ありますが、いろんなところにすぐに降りられないことや、1回の出動で35~40万円の経費がかかることなどがあり、まだまだ問題が存在しています。そもそもパイロットの数が非常に不足していますので、飛ばせる人が足りなければ、ヘリの数も増やせません。一方で、患者の安全はもちろん、スタッフの心理的な負担を減らすにも、やはり信頼できる方に操縦していただきたい。国家規模でのパイロット養成なども進んでほしいと感じます。

──パイロットの問題は深刻ですね。

はい。ドクターヘリの基地病院は全国に53カ所ありますが、このまま行くと10年後には運用できなくなる可能性もあると思います。将来は、例えば“空飛ぶクルマ”のような、自動車に近い使い勝手を持つ「移動体」ができれば運用効率が上がります。現在はヘリが出動しないケースもあるような近距離圏での出動に大きな力になるでしょう。拠点に複数の機体を配備して、近い現場には航続距離が短い“空飛ぶクルマ”で、離れた現場には高速で行けるヘリで、といった使い分けが可能になればと思います。

都道府県別のドクターヘリ配備数(2018年9月現在、認定NPO法人救急ヘリ病院ネットワークのウェブサイトより)

── 他に何か課題はありますか

例えば騒音やダウンウォッシュ(ヘリのローターが発生する下向きの強い風)がもたらす着陸地域への環境的な影響は、当事者以外には大きなストレスとなります。都市部では、生活や通信などの無数の電線によって道路などへの着陸が妨げられる場合も少なくありません。これらは緊急医療への市民意識の問題でもありますが、技術的に解決することができればドクターヘリの大きな機動性向上につながります。

──先生にとって理想のヘリコプターとはどのようなものでしょうか。

速く飛べて航続距離も長く、乗り降りが手軽でどこにでも降りられる機動性を持つ、使い勝手が良い低騒音の機体、欲張りかもしれませんが、それが理想です。技術的なハードルは大変高いと思いますが、次世代のヘリにはそうなってほしいと考えています。

 

操縦性の良さも不可欠

松本先生も話していたとおり、安全性重視の観点から、現在はドクターヘリの操縦に一定時間以上の飛行経験が必要で、そのためのパイロット養成にも時間がかかります。こうした点からも、パイロット不足は大きな懸案となっています。

 

また、ドクターヘリは現場に医師を派遣するだけでなく、患者を病院などに素早く搬送する役目も担っています。北海道や離島が多い地域では航続距離や飛行速度も重要な要素となりますが、それ以外の本州、九州、四国においては、離着陸の迅速さや使い勝手の良さのほうが大切になります。このように目的に応じたさまざまな要求や地域特性を、広い視野で考慮した総合的な機体開発と配備体制が必要となっています。

[ 2020年3月31日更新 ]

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