空力技術研究ユニットの永井リーダ

JAXAの2m×2m遷音速風洞は、マッハ1前後の音速近辺(遷音速)の状態を試験できる風洞です。巡航飛行時のジェット旅客機など、多くの航空機が遷音速で飛行するだけでなく、ロケットや帰還カプセルなども遷音速域を通過します。音速前後で空気の流れの性質は大きく変わるため、機体周りは複雑な流れ場となります。そのため試験ニーズは非常に高く、わが国で開発/使用されたほぼ全ての航空宇宙機の試験が行われています。他省庁や企業の研究開発などでも利用され、年間を通してほぼ休みなく使われています。今回は、空力技術研究ユニットの永井伸治・空力試験技術セクションリーダ/遷音速風洞リーダに話を聞きながら、この遷音速風洞で1週間の風洞試験が、どのように行われているのかを順を追って見ていきます。

 

 

日本の航空技術を支え続けてきた遷音速風洞

1960年に完成した2m×2m遷音速風洞は、調布航空宇宙センターでもっとも早く建設が始まった設備です。風洞が建設された頃、周囲には大きな建物はなく、設備の最上部に登ると当時の国鉄(現・JR東日本)の三鷹駅が見えたそうです。以来、定期的な機械設備更新/整備や改良、防音室の増築などが行われてきました。2017年には、主送風機を駆動している主電動機(インバータモーター)を交換し、制御システムをアップグレードする大規模な改修を行いました。

 

測定部の扉には「昭和35年8月製造」の文字が刻まれている

1日目:試験準備

(1)事前準備

風洞試験の前には、事前の準備作業が必要です。試験の目的に合わせて計測方法を選び、模型を設計して必要な部品や材料等を調達して製作、スムーズに試験を行うための計画手順なども確認します。精度の高い大型風洞試験は、高速になるほど世の中一般にはないものとなります。時にはJAXAのスタッフが豊富な風洞試験の経験に基づき、利用者にアドバイスを行います。利用者もJAXAも協力し、準備万端で試験に臨みます。

「利用者が遷音速風洞を使って試験できるチャンスは年に1回程度です。それを成功させるために準備には時間と手間をかけます。JAXAは風洞の設備を貸し出すだけでなく、技術的サポートもしっかりと行っています」(永井リーダ)

(2)測定部カート

JAXAの遷音速風洞は、「カート方式」を採用しています。測定部が、カートと呼ばれる内寸縦2m×横2m×長さ4.13mの移動可能な箱と、その外側の圧力を保つ抽気室で構成されています。カートは、試験内容や計測方法により3形式4台が用意され、目的に合わせて入れ替えて使用します。カート方式を採用することで、一つのカートを使用していても別のカートで準備を進められ、風洞試験を効率的に行うことができます。

 

測定部抽気室に搬入されたカートは、風路に接続され風洞の一部になります。カート壁は通気性をもつ多孔(溝)壁となっており、遷音速で速度と圧力が一様な流れ場を作ります。計測に使う模型は、カート内の模型支持装置に取り付けます。模型支持装置は、模型の姿勢角を精密に制御・計測できるほか、空気力や圧力などを測る各種センサーを使う環境が整えられています。

 

 

 

 

3形式4台のカートを試験目的に応じて使い分ける

カートを移動させるためのレールと測定部抽気室

(3)模型の組立

模型は、細心の注意を払って組み立てられ、模型支持装置に取り付けられます。風洞では、実機を縮小した縮尺模型を使いますが、mm単位の実機寸法精度を縮尺模型で再現するには、1/100 mmの加工精度が必要となります。このように精密に加工された模型は高価ですが、一度作ってしまえばさまざまな試験条件のデータが効率的に得られます。組立精度の管理等、一つ一つの模型作業全てが計測データに影響するため、組立には万全を期さなくてはなりません。模型の表面状態でデータが変わることもあるので、クリーニング等の表面整備も丹念に行われます。

カートの壁全体に無数の孔が開けられ、中央に模型支持装置が置かれている

模型の組み立て作業

2~5日目:試験

(4)通風

風洞内に風を流すことを「通風」と言います。主送風機の直径5mのファンを回転させ、気流を圧縮して供給します。風路の断面積変化によって気流を加速し、測定部で遷音速気流を作ります。マッハ0.9~1.4の高マッハ数では、補助送風機で抽気室を排気し、測定部上下流で必要な高い圧力比を作ります。主送風機主電動機の定格出力は22,500 kW、補助送風機電動機の定格出力は8,000 kWです。遷音速の気流を作るには大電力が必要ですが、補助送風機により、高マッハ数時の消費電力をほぼ半減しています。通風の前には、風洞内に飛散するものがないよう、抽気室に作業者を閉じ込めたりしないよう、安全を確認します。安全確認ができたら測定部抽気室の大扉を閉め、圧力を調整するとともに通風を開始します。

「風洞設備に欠かせないのが電力と水です。主電動機と補助送風機でマッハ1.4とすると、最大でおよそ5,000世帯分の電力が必要となります。海外の風洞設備の中には、まず人造湖を造って水力発電による電力、そして水を確保しているところもあります」

(永井リーダ)

100tの主電動機に24本配線されているずしりと重い送電線

以前は、計測室と制御室合わせて2~3人の人員で運転する必要がありましたが、改修後は計測室から一人で自動運転できるようになりました。例えばマッハ数を変更する場合、以前は手順を踏んで操作調整する必要がありました。しかし、改修後はマッハ数を指定するだけとなり、安全性とデータ生産性が向上しました。この自動化には、わが国唯一の連続回流式遷音速風洞を、50年以上運用してきた経験と培われた運転技術が反映されています。

改修後の計測室。計測卓でワンマン運転が可能になった

改修後の制御室。ここからも風洞の運転操作が可能

「改修後の遷音速風洞では、習得に1年かかっていた運転操作が自動化されました。一人でも運転可能ですが、勘違いを防ぐために二人以上で確認しながら通風・試験しています」(永井リーダ)

(5)計測

マッハ数や迎角(気流に対する角度)等の試験条件を変更する度に、風洞内の気流を安定させます。その後、模型が受ける空気力や各部の圧力等を計測していきます。制御/計測卓の前に設置された監視盤には、遷音速風洞の状況が表示されており、常に状態を確認しながら運転/計測を行います。

 

必要な場合には、通風を止めて模型の一部を交換することもあります。例えば垂直尾翼の形状を複数用意し、特性を計測して比較するのです。また、舵角を変える部品を交換し、舵の効きや舵にかかる力を調べることもあります。風洞試験の結果は、実機特性に換算するために、無次元化するデータ処理を行います。試験結果は、その日のうちに風洞利用者に引き渡され、翌日の試験条件に反映されることもあります。

3計測卓の操作ボタン。試験条件を設定管理し、試験データを収集する

 

5日目:撤収および結果の利用

(6)撤収

予定の計測が終わったら撤収作業を行います。カートの模型支持装置から模型を取り外して原状回復します。

 

(7)結果の利用

風洞利用者は、風洞試験で得られたデータを研究開発に利用し、新しい技術の研究や機体設計に役立てていくことになります。

 

「JAXA大型風洞の試験データは、わが国の標準風洞で得た基準データとなります。研究開発に不可欠なデータであったり、すぐに製品開発に反映されるデータであったりします。そこがJAXA風洞試験に携わる仕事のやりがいであり、面白いところと感じています」(永井リーダ)

■関連リンク

 2m×2m遷音速風洞

動画:流れをつかみ未来をひらく風洞技術

風洞の種類と気流を作る仕組み

風洞にはさまざまな種類がありますが、JAXAの風洞は「連続回流式」と「間欠吹出式」の2方式です。気流は、圧力の高いところから低いところに流れます。また、川幅が狭くなると流れが速くなるのと同様に、風路の断面積と風速には関係性があります。この二つの原理により、測定部で望む速度の一様な気流を作ります。

連続回流式風洞の例(6.5m×5.5m低速風洞)

間欠吹出式風洞の例(1m×1m超音速風洞)

連続回流式

 

風路と呼ばれるトンネルで回流路を構成し、送風機によって発生させた気流を回流する方式です。連続して長時間の試験が行えるため、データ生産性が高い利点があります。JAXAの「6.5m×5.5m低速風洞」や「2m×2m遷音速風洞」は、風路一周が約200mという国内最大の回流式風洞です。送風機の圧縮比が大きい遷音速風洞では、断熱圧縮で上昇した気流温度を下げて一定に保つ冷却器が必要となります。風路の屈曲部には、流れの向きを変える偏流翼が設置されており、測定部の上流側には、渦を細分化して気流の乱れを小さくする整流装置があります。このような気流の質を高めるさまざまな工夫が施されています。

 

 

 

間欠吹出式

 

貯気槽に貯めた高圧乾燥空気を、トンネル内に吹き出して加速し、高速流を作りだす方式です。高速流を作るのに必要な高い圧力比を、送風機で作るには膨大なコストがかかります。音速以上の超音速風洞や極超音速風洞などで一般的な方式です。JAXAの「1m×1m超音速風洞」では、約20気圧の直径12mで904m3および直径13 mで1,150 m3の2基の貯気槽により、1回30秒の通風が1日8回以上可能です。

 

 

 

[ 2019年10月17日更新 ]

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