後の先(ごのせん)

JAXAメールマガジン第259号(2016年1月20日発行)
立花繁

“柔道は本来自己防衛の技として生まれ、成立した。受身である。相手の攻撃の力を利用して、相手を倒す。これほど謙譲な、しかもこれほど強靭な体技はない。どこからでも攻めて来い、それを待っている。”作家・井上靖の詩「柔道の魅力」(※1)の一節です。これは後の先(ごのせん)とも呼ばれます。相手の攻めを受けながらにして、その力を利用して結局は自分が相手を投げる。相手より後で技をかけるのに実は相手の攻めの先を見越し利用しているので、後の先というものと理解しています。達人と達人が勝負したらどっちが勝つか? 答えは、先に仕掛けた方が負ける。どちらも仕掛けなければ(表面上は)何も起こらない。このように人の生き方そのものに通じる普遍的な思想を、一対一の真剣勝負を重ねることで身に着けていくことが柔道の目的であり魅力です。

後の先の体得には何が必要かを考えます。やはりまず、技の原理・メカニズム(もしくはプロセス)を理解することが必須でしょう。何がどう働くことで相手を投げることができるのか、自分の技も相手の技も客観視してこれを見極める。この際、もっとも原理が効果的に働くように投げられる、という、正しく投げられる練習が実は良い練習方法かもしれません。柔道の練習は、通常、打ち込み、投げ込み、という基本練習から始まるのですが、これを、打ち込まれ、投げ込まれ、に変えてみる。ある種の意識改革的な部分もありますが、新たな面白みが出てくるように思います。原理・メカニズムを理解できたら、次は、相手の攻めを受け容れるという姿勢(覚悟)が必要になるでしょう。その上で、相手の仕掛けたい方向にあわせながら、最終的には自分が投げる流れに合流させる。こういう練習を重ねることで、後の先の体得に近づいていけるように思います。

広義に解釈すると、いろいろな後の先があります。地球規模の気候変動。洪水であふれる水を干ばつ地の灌漑に使えたらなあ。というような素朴なアイディアは誰しも持ったことがあるのではないでしょうか。よからぬ問題を利益あるものに変える。これを広義の後の先とします。(誰にとっての問題・利益なのかという根本的な疑問はここでは考えないことにします。)

燃焼振動の話は、このコラムでこれまで話題にしてきました。ジェットエンジン開発における主要課題の一つです。大きな圧力振動が発生すると燃焼器の破損につながる恐れがあるため振動を抑制する技術の開発が進められています。しかし、もし大きな圧力振動に対して破損しないような燃焼器が作れたとしたら、燃焼性能(燃焼効率や排ガス性能など)は燃焼振動状態の方がむしろ良くなる可能性もあるのです。
例えば、燃料消費速度(角砂糖1個の体積で1秒間に消費できる燃料の量)は乱流(速度の乱れ)が強いほど大きくなります。燃焼振動状態は、ある特定の周波数の乱れがとても強い状態と言うこともできます。燃料消費速度が大きくなれば、燃焼器のサイズを小さくすることが可能になり、これはエンジンの小型化・軽量化にも貢献します。熱音響現象の研究者(※2)は、熱と音波の相互変換という性質を利用して、音(圧力変動)で物を冷やす音波クーラーといった、熱音響デバイスの開発を進めています。燃焼振動問題にこれを応用できないものでしょうか。これらのアイディアは、振動を抑制するという防御の観点よりもさらに一歩踏み込んで、振動を望ましい方向に利用するという考え方であり、後の先の一例と言えます。
どうでしょう。皆さんも“後の先”考えてみませんか?

※1:1978年に開催された嘉納治五郎杯国際柔道大会のパンフレットに掲載された文章。
※2:東北大学 琵琶研究室※外部サイトへリンクします