英国留学の思い出

2019年1月21日
大貫 武

30年前、私は一人で英国に留学しました。正しくは、留学ではなく長期在外研究、とか言ったと思います。当時はメールやインターネットなどまだまだ一般的ではなく、受け入れ側との調整は手紙とFAXのやり取りでした。時々電話も。その国際電話をかけるにも、当時は事前に上司の許可を取る必要がありました。何をするのにも、時間と手間がかかる時代でした。それでも、自分は外国に行くのだ、という気持ちでした。英語は好きでした。留学して、無残にも叩きのめされましたが。

海外は、もちろん初めてではありませんでしたが、出国する時の空港での、あの独特な緊張感は忘れられません。いよいよ留学だ、という期待感と、本当に一人で1年間も耐えられるのだろうか、という不安とが混じりあっていました。後者の方がずっと大きかったかな、と思います。住居も決まっていなかったので、着いたその日から家探しでした。気に入ったフラット(日本のアパートのこと)を見つけるのに、1か月程かかりました。当時幸いなことに、ロンドンに日本人の知人が住んでいましたが、170kmほど離れた私の居住する街では日本人に会うことが全くなく、日本語は全く使いませんでした。久しぶりに、その知人に電話をして日本語を聞けた時には、どういうわけか目から涙がこぼれてきました。緊張感が緩んだのかもしれません。とにかく、言葉が分からなかったです。大学の研究室に客員研究員として招かれていたのですが、大学の中では、まあ、何とか。回りの人が気を遣ってくれていたのでしょう。しかし街に出ると、もう、さっぱりでした。ある日、お店で口論となりました。店員さんと口喧嘩です。始めは言いたいことを思いっきり言えたのですが、その後がダメでした。相手が、何を言っているのかが解らない。しょうがないので、ゆっくりしゃべってくれと(英語で)言ったとたんに、もっと早口になりました。負けたと思いましたね。そのまま帰りました。本当に悔しかったです。大学の学生課(みたいなところ)に行って、「英語がわからないんですけど」と(英語で)助けを求めました。そうすると、非英語圏からの留学生を対象とした英会話プログラムがちゃんとあったのです。そこでしばらく英会話を勉強しました。口喧嘩に役に立つようになったかどうかは、まだ試せていません。

研究の話も少ししておきましょう。何しに行ったのか分からなくなってきそうですので。当時、飛行機の空気抵抗を下げる研究をしていました。空気抵抗には、摩擦によるものと、圧力によるものとがありますが、まず、摩擦による抵抗を減らすには、といった研究をしていました。空気との摩擦抵抗を減らすには、機体の表面をきれいにして、表面に近い場所の空気がきれいに流れる状態(層流境界層といいます)を保ってあげるのが良いと知られています。しかし、現実には、機体の表面に虫などがぶつかって、表面を汚してしまうことがあります。その結果、その汚れを起点として流れが乱れてしまって、層流境界層が乱れてしまうことが解っています。私は、どれくらいの大きさの汚れであれば流れを乱さないか、という実験を行って、汚れに強い、摩擦抵抗が大きくならない翼はないだろうか、というような研究をしていました。何とか研究を纏め、大学の先生と連名で発表できるところまでいきました。

最後に、留学中で一番印象に残ったことを書いておきます。ベルリンの壁の崩壊です。ある日の朝、大学に行くと、大学の中の雰囲気が異様に殺気立っていました。教官、学生皆がざわついて落ち着きがないのです。1989年11月のその日のことでした。まさか、あの壁が民衆の手で壊されることがあるとは、初めは信じられませんでした。その後東西ドイツの統一、ソ連の崩壊へと続きましたが、その流れの中に一時的にも身を置き、文字通り、世界の流れの変化を肌で感じられたことが強く記憶に残っています。今時分英国留学をしていれば、EU脱退の雰囲気が感じられるのでしょうか。

今の若い世代の人にとっては、海外出張/海外旅行も珍しくなく、また外国の研究者ともネット経由で容易に意見交換ができる時代ですと、わざわざ1年間も留学する、という意味も失われつつある気もします。しかし、海外は、旅行で訪れるのと、そこに住むのでは全く違う経験をします。つらい経験もすると思いますが、それはその人にとって、必ずプラスになると思います。チャンスがあるのであれば、是非、海外留学してみることをお勧めします。