実験用航空機「ドルニエ(MuPAL-α)」との30年を振り返って

航空日誌を確認すると平成2年(1990年)に私のサインが残っていた ので、ドルニエとはもう30年以上の付き合いになります。
私は1984年に前職の新日本航空整備、今の株式会社ジャムコに入社し、多機種の飛行機やヘリコプタの整備、ドルニエの機付整備士としてMuPAL-αとなった大改造にも関わりました。その後、紆余曲折あり2001年4月に独立行政法人航空宇宙技術研究所に入所、引き続きドルニエの面倒をみることになったわけです。

  • 平成2年(1990年)にサインした航空日誌

  • ドルニエ228は、多目的実証実験機(Multi Purpose Aviation Laboratory)の略称から「MuPAL-α(ミューパル・アルファ)」という愛称が付けられました。「α(アルファ)」ギリシャ語で「飛行機」を表す単語の頭文字

長い付き合いになりますから、2021年度で耐空証明を更新しないと決まった時は「あぁ…、来る時がきたか…」というような寂しさを感じました。耐空証明検査は、航空機が安全性の基準に適合していることを証明するもので、毎年検査を受けて、耐空証明を更新しなければなりません。自動車でいえば車検のようなものです。それを更新しないと決定した時は感慨深いというかショックというか。30年間のいろいろな思いの中でも一番衝撃的でした。
整備士人生のほとんどに関わったのがドルニエと言っていいぐらいですからね。
先日、パイロットの代田さんと話しましたが、30年以上の付き合いだと言うと「娘を嫁に出すというより、奥さんと離婚するみたいなものだね」と言われました(笑)。

近年は年に数回のフライトでしたが、だからといって放っておくと機嫌が悪くなってしまう。奥さんとは言い得て妙ですよ。
飛行機は飛ばなくても壊れてしまうので、定期的に機体に電源を入れて動かさなければなりません。エンジンを回したり、搭載している実験機器も電源を入れないと不具合が起こります。

ドルニエを格納している飛行場分室は排水処理施設がないので洗えないのですが、海の上を飛んだ後は雑巾掛けしたり、こまめに世話を焼いてきました。東京の空気も汚れているので飛ぶとやっぱり汚れるんですよ。
愛情たっぷりに?世話をしてきただけあって、大きなトラブルもなく30年以上頑張ってきました。少し手をかけすぎたのかなと思うぐらいです。

格納庫と調布飛行場の間の一般道横断は調布の名物でした。

記憶に残っていることといえば、八丈島ベースで極超音速飛行実験(HYFLEX)「ハイフレックス」を探し続けたのはよく覚えています。打ち上げが何度も延期となり約3週間、八丈島に滞在しました。1996年2月12日に打ち上げられて、小笠原沖の海面に着水したのですが、なかなか見つけられず、探し回った(飛び回った)思い出ですね。結局見つけることはできたのですが、残念ながら回収船がたどり着く前に沈んでしまいました。

ドルニエは30年以上の付き合いですから感謝もしていますし、逆にドルニエにも感謝して欲しいですね(笑)。各点検はもちろんのこと、過保護に育ててきましたから。
HOPE(H‐II Orbiting Plane)の着陸地を国内に造るための飛行場(空地)探しに、南は沖縄県・波照間空港、北は北海道・釧路空港まで飛んで行き大樹町などの候補地を見に行った事、1995年10月7日に大樹町多目的航空公園のオープン時に転圧滑走路(舗装していない土を押し固めた滑走路)に最初に着陸した事も思い出します。

まだ飛べる機体ですから、国内では難しいかもしれませんが、海外で頑張ってくれないかなと思っています。あくまで希望ですけどね。

2022年3月更新


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