D-SEND(低ソニックブーム設計概念実証)プロジェクト

D-SENDプロジェクトに携わった研究者からのコメント

質問項目

① 担当業務を教えてください。
② いつ頃からプロジェクトに参加しましたか。
③ 担当業務において、達成感を得たのはどのようなところでしたか。
④ 今回の経験を、今後の研究開発でどのように活かしたいですか。

平野 義鎭

第2次キャンペーン時のBMS班と一緒に(向かって一番左)

①② D-SENDプロジェクトには当初から参加しており、実験機の構造設計と機体に取り付けて飛行の様子を撮影するオンボードカメラの開発を行いました。また、1回目と2回目の実験では、BMS班としてフィールドでのブーム計測を担当しました。

③ 残念ながら、最後の試験はドイツでの長期海外勤務中であったため参加できませんでしたが、フライト成功の速報が届いた時には、機体構造に問題がなかったことが分かって安堵しました。夜中の3時頃に計測データ確認の速報が入って、ようやく成功の実感が湧いてきました。2日後に、実験機の回収とフライト中の撮影が確認できたと連絡をもらった時に、担当した箇所がすべてうまくいったと、大きな安堵感と達成感が湧いてきたことを覚えています。

④ 大人数での実験プロジェクトに関わるのは、D-SENDプロジェクトが初めての経験でした。様々な専門家が集まって議論することで、個人では得られない大きな成果が挙げられることを実感しました。今後の研究でも、広い視野を持って様々な人と議論し、新しい可能性を常に模索していきたいと思います。

馬屋原 博光

計測担当班が計測サイトへ出発する前(向かって一番右)

①② D-SENDプロジェクトには、2015年2月から参加しています。ソニックブームの計測を担当していました。計測システムの操作手順書の作成のほか、実験では計測サイトへの機材の設置・回収を行いました。

③ 準備や設置および操作の訓練を、計測班全員で協力しながら着実に実施したことで、班全員の連携も深まり、試験本番でソニックブームの計測に成功したことはうれしかったです。

④ 地道な作業を丁寧に積み重ねることや、物事に対して真摯に向き合って考え、議論することの大切さをプロジェクトの中で改めて感じました。活動の過程や課題解決の場面を意識して、今後の活動に取り組みたいと考えています。

佐々木 豊

① D-SENDプロジェクトには、2010年8月から参加しています。

②③ 機体システム班として、主に管制システムの設計と運用を行い、また、試験計画班としてスウェーデン宇宙公社との調整の支援も行いました。機体システムが設計通りに正常動作して、その状況を管制卓でモニターし続けられたことに、実験に参加した達成感を覚えました。

④ D-SENDプロジェクトでの不具合対応の経験を、今後の突発事象への対応に活かして、システムをより円滑に運用していきたいと思います。

湯原 達規

①② D-SENDプロジェクトに参加したのは、2014年度からで、ソニックブームの計測を担当しました。

③ 長時間の計測を終え、ようやく計測サイトから管制室にヘリコプターで帰着し、プロジェクトマネージャをはじめとするメンバーからねぎらいの言葉を掛けていただいた時には、ほっとしました。

④ D-SENDプロジェクトに参加して、新しい航空機のコンセプトを実スケールに近い規模で実証することは、想像以上の労力が必要であると実感しました。今後の研究開発では、そうした労力に見合うような価値ある技術を見出し、研究開発することを心がけたいと思います。

岡﨑 勇志

①② D-SENDプロジェクトには、総務班として、現地における全般的な業務を行い、試験の事前準備から当日の作業、撤収作業の撮影、記録を広報と協力して行いました。プロジェクトへの参加は、2015年4月に航空技術部門へ着任した直後からです。

③ 試験が無事終了して他の試験隊員と日本へ帰国した際、自分自身の役目を果たしたと思ったときに達成感を感じました。

④ D-SENDプロジェクトに参加して実体験として感じた、大規模な研究開発を実施するプロジェクトの意義や、スケジュール、リスクなどの適切な管理の必要性などを、今後のSE活動やPM支援業務に活かして行きたいです。

安岡 哲夫

①② D-SENDプロジェクトには、2015年から参加しました。スウェーデン・エスレンジ試験場で行われた第3次キャンペーンにおいて、ソニックブームの計測装置を計測サイトにセッティングする業務を行いました。エスレンジ試験場は北極圏内にあり、夏とはいえ屋外作業には防寒着が必要で、風も強く、また蚊が大量に発生しているという厳しい環境です。スウェーデンの蚊は、服の上からでも刺さるほど針が長く、刺されるとかなり痛いという強烈な特性を持っています。しかも、日本の虫除けでは力不足で、現地の虫除けを体中に塗ることでようやく対処できました。このような過酷な環境の中で、長時間に渡って手順通りに計測装置をセットアップし、設置作業を行っていくという肉体的、精神的にタフであることが求められる業務でした。

③ 達成感というよりは「ホッとした」、というのが正直なところです。ソニックブームの計測装置は、非常にセンシティブで壊れやすく、また、セッティングを少し間違えるだけで計測ができなくなってしまいます。試験は一度きり、やり直しができませんから、試験の前に何度も何度も作業訓練を行って、作業の流れを身体で覚えました。それでも、当日のプレッシャーは大きく、過酷な環境の中で一つひとつ作業を進めましたが、ちゃんと計測装置の正常作動を確認した時もまだ安心できず、試験が終わってソニックブームが無事計測されたことが判った時に、ようやく緊張の糸が解けてホッとすると共に、報われた思いがありました。

④ 研究は、小さな実験室レベルからスタートすることが多いのですが、それがモノとして形になり、実証され、やがて社会の役に立てるということは、研究者として目指すべきゴールといえます。今回の経験で、それを再確認しました。夢を持って、自分の研究に取り組んで行きたいと思います。

瀬川 佑子

①② D-SENDプロジェクトには、2010年9月から参加しております。実験には総務班として、D-SEND#1(2011年)、D-SEND#2(2013年、2014年)と合計3回参加しました。

③ 試験隊員が海外での長期出張中、大きな病気、怪我などをすることなく、無事に帰国できた姿を見届けた時に、総務班として達成感を感じました。
また2011年のD-SEND#1の試験では、少人数でしたけれども、全員の協力で成功させる事ができ、達成感と大きな感動を味わいました。
2015年始めにJAXAを離れたため、残念ながら2015年7月の実験には参加できませんでしたが、プロジェクトチームが立ち上がった時から携わっていた者として、成功の知らせを聞いた時は本当に嬉しかったです。

④ 現在はJAXAから離れた生活を送っておりますが、このプロジェクトを通じて学んだ、諦めない姿勢、というものは、今後の私生活でも必ず役立つものと確信しています。

宇井 祥子

①② 2014年より、現地広報担当として参加しました。

③ 現地の様子を伝えるHPをご覧になった方たちから「楽しみにしている」などのご感想をいただいたとき。
また、総務の支援として、日々の生活のサポートをしていましたので、チーム全員が無事に長丁場の試験を乗り切ることができたときは、ホッとしました。

④ 必ずやり遂げるという強い信念のもと、ときには意見を戦わせながら前進するチームの姿を近くで記録し、サポートできたことを光栄に思います。
私自身は研究者ではないですが、何度も目の当たりにした問題の解決の仕方は、今後の業務及び私生活でも非常に参考になるものが多かったです。

有山 公彦

①② プロジェクト移行審査から航空SE室メンバーとして関与していました。航空部門として初めてのJAXAプロジェクトでしたので、プロジェクトチームをサポートする側にも関わらず分からないことだらけでした。
第1と第2キャンペーンでは実験隊に参加して、総務班、広報班を担当しました。

③ 実験環境が海外における長期の共同生活なので、全員万全の体調で実験に臨めたことと、現地から無事に最後の隊員を送り出したときに、プロジェクトは道半ばではありましたが、総務班としては一段落、達成感を得た気がします。

④ 研究開発だけでなく新しいことに挑むときは、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。」
(構想段階では、夢と希望を持って、楽観的に目標を設定する。計画段階では、何としてもやり遂げなければならないという強い意志を持って、慎重に構想を見つめ直し、起こり得る全ての問題を想定して対策を慎重に考え尽くす。実行段階では腹をくくり、自信を持って、楽観的に明るく勇気をもって実行していく。)ということを想い描いています。

菊池 崇将

①② 2012年から参加しました。試験隊のスウェーデン入り~撤収完了までの現地作業計画の立案、試験当日のシーケンス作成を担当しました。第1次キャンペーンでは、試験管理班として各支援企業との調整と、BMS班としてフィールドでのブーム計測を担当しました。

③ 第2次キャンペーンの直前に現在の職場へ移ったため、プロジェクトに参加している間に達成感を得ることは出来ませんでした。今年の試験完了後、現地で慰労会をしていたメンバーから、はしゃいでいる写真が送られてきました。直後にメンバーから電話が掛かり、皆の嬉しそうな声を聞きました。電話を切った後に気持ちがこみ上げ、思わずガッツポーズが出ました。

④ 実は、既に活かす場を与えていただきました。JAXAを離れた後、現在の職場でプロジェクトのサブマネージャになり、システムと運用の統括を担当しました。そこで、D-SENDプロジェクトを模範としてマネジメントを実施しました。時間と人員が少ない中、非常に苦しいときもあり、第1次キャンペーンの失敗原因究明中に吉田プロジェクトマネージャがおっしゃった「這いつくばってもいい、不恰好でもいい、やめろと言われない限り、這ってでも進む」という言葉は大きな支えになりました。