何かを断つということ

JAXAメールマガジン第251号(2015年9月4日発行)
立花繁

つい先日のことですが、日本橋に抽象画の個展を見に行きました。壁一面ほどもある大きなキャンバスに青い絵の具一色の作品と赤い絵の具一色の作品の2種類が展示されていました。手に絵の具を載せてそのまま直接その手指で描いたということで、キャンバスには縦方向の絵の具の縞が無数に重なっています。毎日10分間この絵に取り組む。これを2年間続けて出来上がった作品とのこと。全体として見ると色つや濃淡の無作為的な縞が重なった絵と映りますが、近くに寄ってまじまじと見ると、指跡の生々しい場所、背伸びして指先が届く・届かないのせめぎ合う境界など、場所によって局所的な特徴がみられます。こんな絵は初めて見た、というのが口をついて出てきた言葉でした。ギャラリーの地下に行くと、同じ作者による様々な色使いの絵が並んでいました。海辺の光を感じるもの、庭の土いじりを想うもの、正しい解釈かどうかは別として多彩な色使いで、青と赤の作品とは全く対照的です。あえて色彩を断ち、一色で2年間かけて描くという作業はいったい何を意味するのか? 帰り途、絵を見た余韻に浸りつつ、考えを巡らせながら歩きました。
科学的手法として捉えれば、これは一種の変数分離と考えられるのではないか。変数を極端に限定することで、普段気づきにくい変化を感じ取ることができるようになるのではないか。あの絵は作者自身が自己の中身を知るために描いたものではないか。
以前のコラム(JAXAメールマガジン第233号コラム)でも書きましたが、変数分離は研究者が問題の本質を探るときの常套手段です。ジェットエンジンの燃焼器の試験であれば、空気流れの温度・圧力・流量を一定としながら、燃料噴射量のみを変化させてデータ取得することで、燃料濃度に対する燃焼性能特性の変化を明らかにする、といったやり方です。この手法の究極を探っていくと、どんどん捨てられるものは捨てて行く、という方向に行きあたります。極端な話ですが、飛行機からエンジンをなくしたらどうなるのか? それでも飛ばすにはどうしたらよいか? そもそも世の中、飛行機がなかったらどうなるのか? 代替する交通手段はあり得るのか? 時々、こういう思考を巡らせることも頭の固定化を防ぐのに有効だと思います。身近な習慣で言えば、酒を断つ、タバコを断つ、食を断つ、情報を断つ、なども考えられます。こちらは体や頭に何かしらの変化を感じられること確実でしょう。
冒頭の「縦の絵」は、柔道クラブの稽古仲間(美術大学の先生)の作品です。いつも組み手で勝負となるあの釣り手で直に描かれた作品ということで、次の稽古ではあの巨大な絵との戦いとなりそうです。