スマートフォンサイトを表示

宇宙航空研究開発機構

無人航空機ドローンについて

JAXAメールマガジン第279号(2016年11月21日発行)
齊藤 茂

こんにちは、ヘリコプターを研究している齊藤茂です。今まで航空機特に有人機について回転翼機及び固定翼機の解説をしてきました。今回は、ドローンの生い立ち話をしたいと思います。今日ほどドローンが広く普及している時代はないと思います。実際に小型のドローンを購入して飛ばしてみると、操縦はしやすく、安定して飛行します。世界中でこのような安価で気楽に飛行させる代物になるまで航空工学の知識を駆使することはもちろんのこと、各種機構の小型化などの革新技術の出現があって現在の形に作り上げてきた歴史があります。
無人航空機は、もともと小型固定翼機や小型ヘリコプターなどを軍事用に開発し敵情視察や空爆など、兵隊が実際の現場に行かなくとも敵を攻撃することに利用されたことが始まりといわれています。このためには、遠隔操縦だけではなく、自律飛行ができなければなりませんでした。他方この技術は比較的容易に民間利用されるようになり、遠隔操縦を行ういわゆるラジコン機が出現し広く普及してきました。これらはほとんど趣味の世界だけのおもちゃ(模型)でした。ラジコンを使用した模型は固定翼機や回転翼機(ヘリコプター)だけでなく、自動車模型、船舶模型、鉄道模型など広い範囲で使用されています。近年では、複数のプロペラを用いたドローンが出現し民間における無人の航空機といえばこのドローンを指すといっても過言ではありません。
我が国における無人航空機の生い立ちについて触れてみましょう。日本における無人のヘリコプターの歴史は1970年代にさかのぼります。1970年6月に西ドイツ(当時)のDieter Schluter氏が初めて無人操縦ヘリコプターを用いて距離11㎞、時間にして27分51秒の世界記録を打ち立てました。同時期に日本の“Shinya Fujiyama”なる人が無線操縦ヘリコプターを開発していた記録があります。日本人も同様な考え方をする人がいるということですね。
我が国では、1971年にカルト産業がSchluter氏の許可を得てコブラ450を販売しました。その後1973年には西ドイツのKAVAN社がジェットレンジャー、グラウプター社がベル212を発売しました。日本ではヒロボー、神戸機工、TSKなどのメーカーがこの世界に参入しました。1970年代末には、さらに石政が電動ヘリコプターEH-1スカイラークを1987年にはアイソニックがEH-550をそれぞれ販売しています。
その後大型のヘリコプター開発が始まり神戸技研による農薬散布用ヘリコプターRCASS(2重反転式無人ヘリコプターのRemote Control Aerial Spraying System)の開発が進められ、ヤマハ発動機がヒロボーの協力を得て産業用無人操縦ヘリコプターの開発へと進んでいきました。このヤマハ発動機の無人ヘリコプターの発展は目覚ましく、それまで有人ヘリコプターによる農薬散布が主流であったものが無人ヘリコプターへとその主役を奪うまでになっています。
1989年キーエンスからクワッドロータのジャイロソーサが発売され後のマルチロータの先駆けとなりました。さらに、ヘリコプターには必須のスォッシュプレートを用いないリボリュータが開発されより操縦が容易になった。その後リチウムポリマー電池、ブラシレスDCモーター、MEMSジャイロスコープ、スペクトラム拡散などの技術を取り入れることで手軽に飛ばすことが可能となりました。

我が国の無人航空機の発展は、このように模型航空機から始まり、後に産業用の無人機に発展した経緯があります。しかしながら、世界を見ると民間の模型飛行機(ドローン)の販売は中国のDJI社が第1位であり米国の3Dロボティクス社がそれに次ぐ販売規模であるが両者の間には10倍ほどの差があります。これは米国の産業用無人機開発の思想が、国産重視という立場の違いが反映されているからです。




ページTOP