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宇宙航空研究開発機構

プロジェクトの縁の下

2017年12月22日

チーフエンジニア室 大貫 武

 前回(「千丈の堤も蟻の一穴から」)、飛行実験のために、豪州ウーメラ実験場で長きに渡る集団生活をしてきたことを御紹介しましたが、今回は、そこに至る、豪州政府との交渉の経緯、思い出話を御紹介します。この飛行実験については、これまでも、徳川直子さん、吉田憲司さんなどが寄稿していますのでそちらも参照いただければと思います。この飛行実験、正確には、「次世代超音速機技術研究開発」プロジェクトで開発された、エンジンのついていない無推力実験機「小型超音速実験機」を用いて、音速の2倍で飛行させようというのが、我々の計画でした。しかしその実験の手法が、人工衛星の打ち上げに使われるロケットモーターを用いて無人の実験機を空高く打ち上げ、上空で分離された実験機をグライダーのように超音速で滑空させるという、今まで誰もやったことのない、とにかく破天荒な計画でした。しかも、実験機は再使用するため、無事回収しなければならないということで、実験場としては広大な面積が必要でした。その点、ウーメラ実験場は、東西約500km、南北約250kmのほぼ長方形をした領域が立ち入り制限区域となっており、その面積約13万km2は日本の北海道と九州をあわせた面積よりも大きいほどで、今回の実験にはうってつけでした。さらに、ウーメラ実験場は、第2次世界大戦後、英国によるロケットの試射が行われてきたため、ロケット打ち上げのための射点が、いくつも存在しているのも我々の実験に都合が良い点でした。また、我々の前には、旧航空宇宙技術研究所と旧宇宙開発事業団が共同で行った、小型自動着陸実験「ALFLEX」の際に使わせてもらった経緯もあり、交渉も比較的容易に進むのではないかとの読みもありました。しかしながら、その交渉は容易な道ではありませんでした。
 ウーメラ実験場は、豪州の国防省の管轄となっています。我々は、ALFLEXの時のツテを頼り、実験場の担当者を訪問するところから始めました。実は、ALFLEXの際には、旧航空宇宙技術研究所は国の機関である国立研究所でしたが、我々が訪問した時は、独立行政法人化しており、彼らから見れば、民間企業と同じカテゴリーということでした。にもかかわらず、実験場の担当者は、大変にフレンドリーに接してくれたのですが、管轄する国防省キャンベラ(本省)の方が、なかなか難航しました。先方は常に弁護士が同席しており、また、ALFLEXのときから豪州国内のルールも変わっており、加えて、我々の立場も異なっているとのことで、政府間レベルの話ではなく、民間との交渉と仕分けられていたためでしょうか、なかなか話が進まず、忸怩たるもがありました。どこの世界にも、お役所仕事があるのかと思うほど話が進まず、2ヶ月に1回位のペースで訪問し、話をつめていきました。交渉先も3カ所あり、本省のあるキャンベラ、実験場管理部隊の拠点であるアデレード、実験場現場監督部署のあるウーメラ実験場という具合です。何度も何度も、日豪間、豪州国内で3都市間を往復したことを、今懐かしく思い出します。あそこに見える目的に向かって進んでいるのだけれど、目的に近づいているのか自信が無くなり、まるでワインディングロード(曲がりくねった道)を進んでいるかのような感覚でした。1998年に初めて訪問し、実験場の使用にかかわる協定を締結できたのが2001年4月でしたので、3年近くかかってしまいました。協定の締結に際しては、協定調印式というものを日豪の関係者を招いてキャンベラで開催いたしました。招待した我が国の政府関係者から、「よくやったね」と言われた時は、思わず目頭が熱くなってしまったことを記憶しています。御存知の通り、日本の家庭用電源の電圧は100ボルトですが、豪州は220-240ボルトです。すぐに慣れましたし、また、最近ではグローバル化が進み多くの家電が240ボルトまで対応していますが、当時はまだそうでもなく、誤って旅行用変圧器を介さず、パソコンの電源プラグを直接指してしまって、変換機を壊してしまったことも、今となっては時効でしょうか。
交渉には時間がかかるもの、また足で稼ぐもの(どこかの刑事ドラマで聞いたような台詞ですが)、を実感した経験で、一言で言えば、急がば回れ、でしょうか。
 その後、飛行実験の安全性について、第3者である豪州企業による、独立したリスクアセスメントを実施し、最終的に豪州政府からの了承を受け、ウーメラ実験場の設備改良工事を行ってようやく飛行実験を迎える運びとなりました。後半については、またの機会があれば、御紹介したいと思います。

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