初のジェット旅客機コメットの悲劇と遺産~謎の空中分解、その謎を突き止めた英国航空研究者~

JAXAメールマガジン第201号(2013年7月5日発行)
薄一平

こんにちは。JAXA航空本部の薄(すすき)一平です。第192号の私のコラム「破壊と経験」続編です。
英国は、首都ロンドンがナチスドイツの爆撃に曝されている戦中に第2次世界大戦の勝利を確信し、戦後の英国の復興発展計画を策定していました。大量・高速輸送時代が来ることを看破し、大型ジェット機の開発計画を進めていたのです。それがコメットでした。米国ボーイング社が未だ設計段階の時に、すでに最終飛行試験段階にあり、英国製コメットは大きくリードしているかのようでした。今から60年前、1952年のことです。
初就航以来すごい人気、英国王室を乗客に迎えるなど注目と羨望の的、これまでにない高い空を、最速のスピードで静かに飛ぶジェット旅客機、窓も大きめで眺めも最高、夢の旅行を実現したコメットでした。コメットには天窓が付いていました。飛行コースの確認のために乗員が天体観測をするための窓でした。

パイロットの操縦ミスによる離陸失敗事故も起こりましたが、1954年1月の事故はそれまでの「不慣れ」や「悪天候」で説明がつくものではありませんでした。巡航中に突然空中分解し、散乱した機体がエルバ島沖の海で見つかったのです。「謎の」空中分解です。まるでジグゾーパズルのように残骸一つ一つを元の場所に貼り付けて、何が起こったのか調査を始めました。
この方法がその後の事故調査の基本になりました。追加試験でも「謎は」解けませんでした。2か月後に運航再開されましたが、その2週間後に別の機体が同じような空中分解事故をおこし、コメットは全面飛行禁止になりました。
チャーチル首相は英国の威信をかけて事故を徹底的に究明すると宣言し、「謎」の空中分解究明が総力を結集して始まりました。
英国航空研究所(RAE)はコメット機全体を使った飛行シミュレーション試験を考案しました。離陸・巡航・着陸で機体が受ける繰り返し荷重を、地上で機体に水圧を加えて同じ環境を再現しようとするアイデアです。
これもその後の航空機開発の基本試験項目になりました。約1800回という設計を遥かに下回る繰り返し回数で、もろくも窓枠に亀裂が入り、胴体が大きく裂けたのです。この実験結果からエルバ島沖に墜落したコメットは天窓から亀裂が成長し、一挙に胴体を割いた事故であることを突き止めたのです。「疲労破壊」の恐ろしさと研究の重要性が認識されました。
「謎」は執念で突き止められましたが、コメットへの信頼は回復しませんでした。ジェット時代はボーイングB707から始まりました。