包丁研ぎ

JAXAメールマガジン第282号(2017年1月20日発行)
廣谷智成

こんにちは、空力技術研究ユニットの廣谷 智成です。

皆さんはレストランですばらしい料理が出された時、誰を賞賛しますか? やはり料理を作った調理師がすばらしいと思いますか? 材料の野菜や肉を生産した農家の人々がすばらしいと思いますか? それはその通りだと思います。でも、すばらしい材料があって、すばらしい調理師がいても、包丁や鍋がダメな物では、せっかくの材料や調理師の腕がムダになり、料理は台無しになってしまうのではないでしょうか。すばらしい料理ができるためには、良い研ぎ師が研いだ包丁があり、良い職人が作った鍋があることも必要で、研ぎ師や鍋職人もすばらしい料理作りの一翼を担っていると思います。
航空分野のコラムを料理の話から始めてしまいましたが、料理と包丁研ぎ師の関係は、研究、開発においてもあるのではないかと思います。私は主に風洞の高精度化に関する研究をしています。この研究はおいしい料理を作るようなものではなく、包丁をよく切れるように研ぐようなものではないかなと、自分では考えています。

私の研究対象は風洞で、特にターゲットとしている風洞は6.5m×5.5m低速風洞です。ところで、皆さんは風洞をご覧になったことがありますか? あまり身近なものではないですよね。
風洞については、メールマガジン第219号で上野 真さんが紹介されていますが、ひとことで言ってしまうと、人工的に風の流れを作る装置です。風洞にはいくつかの方式がありますが、どの方式でも測定を行う部分(測定部)で、設定された条件の風の流れを人工的に作り出します。航空分野では航空機が飛んでいる時の、航空機の周りの風の流れを模擬するために風洞が使われ、実験的に航空機が空気から受ける力や、機体表面の圧力を計測したりします。

風洞を使った実験(風洞試験)で、航空機が飛んでいる時の流れの状態を完全に模擬できるかというと、残念ながらそうではありません。そのため、風洞試験で得られたデータがそのまま実際の航空機のデータとはならず、実際の状態と実験の差を埋めるための補正を行って、実際に航空機が空気から受ける力などを推算します。また、少しだけ条件が違うことの効果、例えば、基本となる機体形状とは尾翼の形状が少しだけ異なることの効果を理解したい場合には、基本となる機体形状についての風洞試験データと、尾翼の形状が少しだけ異なる形状についての風洞試験データの差を調べて評価します(これを差分評価といいます)。
実際に航空機が空気から受ける力を推算するための補正や、差分評価は風洞試験の再現性が良いこと、つまり、同じ条件の試験を行えば同じ結果が得られることが前提となっています。風洞試験の再現性があまり良くなければ、補正されたデータや差分評価の価値が薄れてしまい、良い風洞試験にはなりません。同じ条件で試験すれば同じ結果になるのは当たり前では?と思われるかもしれません。
しかし、高い精度で再現性を確保することは、なかなか難しい課題です。同じ条件で試験を行ったつもりでも、何かがわずかに異なってしまい、わずかなズレを生じてしまいます。異なっている何かとは計測機器の状態(計測機器にも誤差があります)かもしれませんし、風洞で作られる流れの質かもしれません。風洞の測定部に設置された模型支持装置周りの流れがわずかに変化したのかもしれません。このようなわずかなズレを生む要因を一つずつ調べ、一つずつ解決していくことで、より高い精度の再現性が確保された、より良い試験の行える風洞を目指して研究を進めています。やはり、すばらしい料理を作るためには、良く研がれた包丁が必要ですから。

6.5m×5.5m低速風洞